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「癖ある馬に能あり」という、諺(ことわざ)があるが、魏延はまさにその言葉通りですね。有能な人物は癖が強く、扱いづらい。そんな魏延の才能を見出だし、上手に扱った劉備は人を見る天才ですね。
そういうところは、漢(前漢)の建国者劉邦にも繋がっているんやなぁ🎵(笑)
劉備にしか扱えない人間ってのもそれはそれで国家運営面倒だったりするからなぁ関羽や張飛も然り
@@フォード-i1w 諸葛亮には素直に従いそうもなさそうな趙雲子龍みたいな従順じゃ無さそうだし
法正もですかね
劉備の臣下だった人物には性格に難があったり癖が強すぎた為に、劉備にしか使いこなせないような人材が多かったように思います。関羽と張飛を筆頭に魏延に法正、そして一見人当たりがよさそうで、その実かなりの頑固者の趙雲・・・・・・・・・・無論孔明もその「劉備にしか使いこなせない曲者」の一人と言えるでしょう。
血で血を洗う五胡十六国時代の解説の日もいよいよ近づいてきた
中国史としてみると蜀って小国で滅んで当然だけど、ヨーロッパとかの同時代と比べると、決して小規模じゃ無いんだよな。元々、稲が自生してて水が豊かで秦代から開発されてて、鉄と塩も産出する。一州としては人口も多い。一州として十分すぎる。でも、一州なんだよなぁ~
個人的には呉に攻め込んだ夷陵の戦いの敗戦で蜀の屋台骨は折れていたと思う、それを孔明の卓越した政治手腕で生き長らえさせていた印象
現実的にはただの一地方政権でないはずの蜀漢が演義正史問わず我々を魅了するのは結局のところ、どこまでいっても劉備と孔明の見た夢とその残滓だったからかも知れません。孔明の死後はどちらかというと魏の都合で後回しにされていた印象すらあります。
正史ではそこまで魅了されないよ。根付いたの儒教文化が大きく影響してる。儒教の教えは、為政者が理想の政治を実現するための思想哲学。上下関係を重視して、下の人間は上の人間に絶対服従を要求できる。そしてその一番上にいるのが皇帝。だから中国の国家はみんな儒教道徳を教育の土台にしてきた。腐敗して滅亡に向かう国家でもその皇帝を崇拝して、その権威を守ろうとする劉備か、皇帝をないがしろにして国家を簒奪する曹操では、当然劉備を正義のヒーローにして曹操を悪役にする物語が三国志演義よりもずっと前の時代から常に繰り返されてきた。劉備や孔明が勝つ話をすれば子供は大喜びして、曹操が勝つ話をすれば子供は泣きじゃくる。 国家なんてものは栄枯盛衰。腐敗が手の施しようがないほど進行すればその国家を守るより一度滅ぼす方がより合理的であるという理屈だけど、国としてはそんな反逆の芽を育てることなっててはかなわない。だから現在の腐敗した国家でもそれに忠誠を作る劉備孔明をヒーローとするプロパガンダが二千年続いてきた。
判官贔屓ですよね、地盤、看板もないむしろ売りの男が漢復興とか、喜びそうな内容ですし
泣いて馬謖を斬るの故事は、「任命責任」をとる所までだと私は思っています。たまに政治家が、泣いて馬謖を斬ったんですと話していますが、それは馬謖を斬ったのではなく、トカゲの尻尾を斬っただけでしょ?上は責任とってないし…ってのが多いです。
泣いて馬謖を斬る は動画内の紹介されてる法を重んじる意味の他に「こんなド級のボンクラの本質を見抜けず重用してしまった自分が情けなさすぎる」と孔明が涙したという異説もありますね。
孔明に最も欠けていたのは人間を質的に評価する能力だったのではないでしょうか。この才能に限って言えば、劉備の方が数段上だったように思います。(ただし、能力や資質の問題ではなく、人生経験の差が主な要因だと思われます)清濁善悪さまざまな人間と接してきた経験をもつ劉備と違って、孔明の場合は自分自身が才智に恵まれている上に、それまでの人生において自分のメガネにかなう、自分の才智の相手ができる(=才能に恵まれた)ような人間としか接してこなかったものですから、「バカな人間」「ボンクラ」「人間のクズ」なる者たちがどういう存在なのか、頭では認識していても、実際に理解できていなかった、というのはあったのではなかったかと思っています。それまで本物しか見たことがない人間には、偽物に接しても案外見分けられないものなのかもしれません。
実のところ孔明は優劣以前に荊州閥の名士を優先して人材採用してたからな(孔明自体が名士なので自然とそうなるのだけど)その点自身の経験に基づき実力があれば抜擢する考えを持っていた劉備と比べるとどうしても劣るのだろう
魏延との兼ね合いも近いものがあるねぇ。実力あるものを反骨の相があるとかいって斬ろうと進言してたりしますからね。その後の魏延の働きはすごいと思う。ヨウギが居なければちゃんと孔明の後継げてた感じもするし。
@@mild_solt1119 いやぁ孔明の死直後に長安攻めに行って司馬懿にハメられて終わってたと思う
馬謖や魏延の件もそうだけど、孔明って根本的に人事に関しては才能が欠如してますね。その才能がずば抜けていた劉備が生きていた頃は、最終的な人事権を劉備が握っていたから問題なかったし、劉備死後も孔明自身の他の能力が高かったから、お気に入りが多少能力に問題があるメンツでも、孔明自身の能力でそれを補えただけなんじゃないかな。でもお気に入りは孔明の評価ほど才覚がないから後進として育たない。その結果が、孔明自身の過労に拠る早死や、蜀の致命的なまでの人材不足につながったんじゃないかと思いますね。
ゲームなんかだと人材豊富な蜀だけど、実際には魏は名前が残らない優秀な人材が多かった。初期から中期の将は三国とも素晴らしい人物が多いけど、後期は魏(晋)の圧勝…国力でも負けてるし、そりゃあ勝てませんわ。
まあ、演技では蜀が劉備が主人公やからね。大体のゲームとかも演技ベースなんよね。
@@Ivan4886Davis 正史ベースでゲーム作っても魏で呉蜀を蹂躙するだけでつまらなさそう
特に光栄(現:コーエーテクモ)は、開発元の贔屓が露骨に反映されてますからねぇ・・・
@@パンダーXパンダー ワンチャン、史実ベースにした場合、蜀に攻め込もう→兵站の負担が重すぎ&現地調達しようにも現地に何もないで、案外攻め込むのも苦労しそう・・・
この中でも兵力差、国力差に触れてますね。大日本帝国が米国に宣戦布告するのと同じ。かの山本五十六元帥もこの国力差について冷静に分析されていて1年が限界、その後有利な段階で和睦と言っていた。諸葛亮も同じような立場、ただ国是としては漢を成都から長安に遷都し国賊曹賊を粉砕するというさらにヘビーな任務だったから慎重な策を練らざるを得なかったのだろう。
劉焉劉璋の支配地に劉備やら荊州閥が押しかけて一代であれこれやったわけだけど、日本の豊臣しかり一代で国作って育てて未来に残しつつ敵国と戦うってそもそも大変ってもんじゃないよな。
陳寿が公式の歴史書の中で、依頼主を貶めることなく自分の故郷の人間を列伝に記載されていない人の事まで讃える文書を記載している。当時の状況を考えるとこれは文人としての最大限の自己主張だと思う。少しでも間違えると自身の命どころか、書いた物も散逸する可能性があると考えると陳寿はペンを持った勇者だと言える。
滅びのターニングポイントは荊州失陥かなおまけに関羽も失ったそれで夷陵の戦いが起こるし、暴走張飛は部下に殺されるしそう思うと司馬懿の策略が蜀滅亡に一番効いたのかも
蜀滅亡のきっかけは、関羽ファンには申し訳ないが、関羽の尊大不遜な性格から同盟関係だった 孫権を見下し犬扱いその挙句 呉に荊州を取られて蜀のGDP減。その後 劉備が孔明の諫めも聞かず 呉と戦い夷陵で大敗して、それまでの蓄えた八十万の軍を失い・・・。
実は馬謖なんて比較にならんぐらいやらかし度がひどいんだよなぁ。
@@Sanmiguel-or8sn 関羽のやらかしはよく話に挙がるけど、当時の関羽の立場からすると荊州の軍権はあっても国の政権、外交権は制限あったから婚姻話は断るしかなかった。多分孫権はその辺知ってる上で大義名分作るために劉備を無視して関羽に打診したんじゃないかな。蜀と荊州より呉と荊州のが行き来が楽で早いだろうし、どっちかって言うと呉に対応出来なかったのは劉備、諸葛亮の落ち度も多分にあると思う。
@@脇村眼鏡 そこはせめて「自分には決定権がないから兄者(劉備)に話してくれor相談するから返答を待って欲しい」と返答すれば済むだけで、それを怠り独断している時点で、十分関羽の失策だと思います。尤も、関羽の尊大な性格は劉備はもちろん人物評価に疑問符が残る孔明でも理解できるレベルでしたから、そんな彼の暴走を抑えられる補佐役を付けられなかった時点で、劉備や孔明の失策とも取れますが・・・
@@酔狂-i9o やはり本人の頑固すぎる性格もこの悪手の起因になってますね。関羽の武勇は対応に駆り出された魏、呉の武将の面々を見ればはっきりと分かるだけに、そこの一点が本当に惜しい。
国力差は当然として、潁川を始めとした、知識人が河北が安定すると、蜀や呉から魏に戻ってしまったので人の質でも魏に勝てなくなった。
蜀を滅ぼしたのは劉禅じゃないし姜維でもないし黄皓でもなく鄧艾ってことを忘れてる人多い気がするのよね
真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である というナポレオンの言葉があることですし・・・・
魏の勝因よりも蜀の敗因のほうが大きいから仕方ない(´・ω・`)
70才のじいさんがハンニバルを越える山岳を越えて襲ってくるとかすごすぎるのにな
鄧艾って魏じゃなかった...?
外敵として蜀を滅ぼしたのは鄧艾だけどそれ以前から内側がダメになってってことでしょ
夏侯淵破って漢中奪取した所が最盛期でしたね。関羽が呉と上手く付き合えていれば魏をもっと脅かすこと出来たのかなあって考えてしまう
呉に関羽が上手く対応出来てたら、とはよく言われるけど。あの時の関羽には一定の軍権はあっても外交権は与えられてなかったから、どの道詰んでた。劉備の承認なく外交出来ないから呉の要求は突っぱねるか待たせるしかないから、孫権はそれで大義名分を作るつもりで打診して来たんだと思う。
@@脇村眼鏡 関羽は荊州における統治権を有してるから外交権はあるよ。そもそもなけりゃ関羽の子供と結婚なんて提案を孫権がするはずがない。関羽がバカだったってだけ。しくじりでも言われてるけど、関羽は性格悪いしね。
@@ponpon3202 前半部分の統治権は知らなかった、ありがとう。そう考えると、完全に関羽が軍事面のみの力押しでしか物事を捉えてなかったって感じなのだろうか。搦手とか外面をもうちょっとなんとかできてたらなぁ。
20:04馬謖を諌めている王平「山間は隘路で足止めだろ!山頂布陣?意味わかんねぇこと言うな!」16年後、費禕を待つ王平「山間は隘路で足止めだ!山間は隘路で足止め!!(迫真)」
包囲されるかされないか、見極めが大事って事か
献帝は弑されたとの誤報が蜀に伝わり、蜀では「愍帝」の諡を用意していたくらいなので、漢朝の正当な後継者として魏を討つのは国是と言っていいんだよな。費禕がキーポイントかつターニングポイントだったかな。
蜀漢に連敗を見舞った鄧艾は、うp主の武将シリーズでもお馴染みの武廟六十四将に取り上げられてる名将。魏国で六十四将にランクインしてるのは鄧艾以外では、合肥で八面六臂の活躍をしたあの張遼しかいない。
あれ、蜀も張飛と関羽しか入ってないのに呉は周瑜・呂蒙・陸遜・陸抗と4人も入ってるの意外だよね
@@NY-cz5to 六十四将より上の十哲に諸葛亮がいるんで蜀は3人、魏が一番少ないんですよね名将多いけどパッとした功績がある人は少ないからなぁ
晋が地味にいますね。東西合わせて5人いるのはちょっと驚きました。
@@NY-cz5to ぶっちゃけ呉の4人はチートクラスに強いし……陸遜なんかは正史で諸葛亮と共に単独で伝をたてられて同格扱いだし。
魏は序盤のイケイケだったときは曹操が出ていって指揮するからな、陸遜や張遼、周瑜みたいな活躍はしにくい
つまり三国志演義は真田十勇士みたいなものということですねそれから鬼道について今まで考えた事の無い視点で語られていて目からウロコでした
最後の〆方にちょっと感動しました。
国是として漢の復興を掲げる以上、後漢の簒奪者・魏に戦を挑まざるを得ないのが、そもそもの無理ゲー…
何が何でも攻めなくてはいけないというのは支配者階級の人たちの傲慢。国是とか大義名分なんて世論いじくってどうにでもできるものだ。けっきょくはロマンであり、ロマンに縛られてるようでは司馬懿には勝てないよ。むしろそのロマンが邪魔になることさえある。
北方騎馬民がヒャッハーして曹魏に侵入掠奪か曹操が苻堅みたいに敗戦後自爆分裂しない限り無理では地方割拠で諦めたらそれまでだし
この時代は特にコメント欄にも物識りが続々なのが面白いです。そういう意味で作りにくいと思いますが、ありがとうございます。
魏に曹操とその威光ある限り、耐えることはできても、いずれの滅亡は不可避だよなぁ…
人材のレベルが違い過ぎる。魏だと張飛や魏延レベルの武将は即クビ。
@@mentaiko-pasta 武廟六十四将にも入ってるところからしてそれは無いと思われる。張遼とか周瑜と同格かそれにちかい
劉備と孔明、苻堅と王猛はよく似ているけど、人を見る目は真逆でしたね
苻堅は慕容垂とか呂光とか有能な人物は発掘してるけどやっぱり、劉備には劣るよね
まあ劉禅は最近はともかく昔は評価低かったけど劉備に父と思い慕えと言われた諸葛亮を重用したのは当たり前だしその諸葛亮の後もそこまで悪い人選はしてないと思うわ元々詰んでた訳だしよくあれだけ長期間持たせたな感がある
姜維の北伐をどう評価するかは観点で異なるが、鍾会と組んだ直後に劉禅に対し「俺もう一回再起しますから!陛下をもう一回皇帝に返り咲かさせますから!見ててください俺やりますよ!YOROSHIKU!」という空気読まない手紙を送ってるのが、彼の危うさを物語ってる。こんな手紙が魏に見つかったら劉禅自身の命も脅かされるという思慮が無かったのか。
司馬昭の宴で劉禅に「そういう時は蜀が懐かしいというべきだ」と忠告(笑)した蜀の旧臣もそうですが、基本蜀で忠臣扱いされるメンツは空気読めない連中揃いだからなぁ・・・まぁ、まともな情勢判断できる人材なら、そもそも蜀を見捨ててる=情勢判断できないから蜀の家臣やってたともとれますが・・・(^_^;)
陳祗って生姜のことを支えた最後の味方だよね前任の四相の様に強烈なカリスマを備えてたわけじゃないってだけで
「劉禅がイギリスの王だったら歴史的名君と称えられた」って例えで思わず吹き出してしまった
一応、劉禅は晋からは「思公(安楽公として)」、「漢の後継者」を自称して挙兵した匈奴の劉淵からは「孝懐皇帝」と諡されている。劉禅の子孫はこの劉淵が引き起こした永嘉の乱に巻き込まれて絶滅したけど。
漢中奪取したまでが横山三国志見てもピークだったかなとは思う、あとは法正がもっと長生きしてたらなとは。
宦官勢力が幅を利かしてしまったところが後漢末期の十常侍とかぶるんだよなぁ…そんなところまでオリジナルの真似をしなくてもよかったのに
漢に忠誠を誓うということは、その漢が作り出してしまった歪んだ文化にさえ忠誠を示すことでもある。そこら辺は個人や家族単位とはちがい国家という社会であればこそ、柔軟にいいとこ取りという訳にはいかないだろうな。
鐘会のクーデターは辛憲英や司馬昭の嫁の王元姫からも仕官の時に野心の強さを見破られてましたからね。失敗は当然ですよ。姜維も何を思ってクーデターを起こしたのかは気になるところ。
このチャンネルの「三国の時代」も、いよいよ黄昏時に入ってきたねえ…
三国時代の黄昏時は五胡十六国時代の夜明けなんだよなぁ……なお
魏延の策は兵站に無理があるから取れても維持は厳しい
長安落としたとしても郭淮や司馬懿、曹真、張コウとか健在でしばらく粘らないといけないと考えるとハードル高いよなぁ
ワンチャン、長安陥落で魏がパニック状態になり、それを好機と呉が北伐を開始すれば、大勝利も無いこともないけど、そのための根回しした記録が見当たらないしなぁ・・・最悪、長安で蜀の全軍が敵中孤立→第二の夷陵の悲劇という可能性も・・・
兵は詭道なり、鍾会はツメが甘かったですねえ、そんなことより陳泰が出てこなかったのは残念、まぁ魏将なんで仕方ないね
17:00「ここにいるぞ!!」(ドヤ顔)
蜀漢ほどifがありロマンがある国はないんだよな。それは劉備や孔明が目指した国が民たちの理想の国だったからだとも言える確かに国としては魏呉に及ばず滅びはしたが、その志こそは二千年近くたった今でも生き続けているんだよな
中國の歴史上最も国家が腐敗して人口を減らした後漢末期。漢王朝は滅ぶべくしてほろんだ。漢の復興という、時代に逆行するその方角のどこにが理想の国家があるのだというのか。ロマンでは国民は喜ばない。国民が最も喜ぶのは毎日食べるものがあることだよ。
荊州持っていれば対抗できたらいいなぐらいに国力違うからな。荊州も持たず劉備が大敗して詰んでるんだがね。
孔明の本当の凄さは劉備なき後、崩壊の危機にあった蜀を北伐をすることでまとめあげた事にあると言うことを論じる人がいて 自分もそう思った崩壊の危機を乗り切るだけでなく北伐まで実行してしまう統制力はすごいと思う実際に歴史上政権がうまくいかなくなると戦争で乗り切ろうとする政府があったりするがさらに何回も失敗しても内部崩壊しないのは珍しい
普通の国なら夷陵の敗北、南方地域の反乱が起こった時点で滅亡コースまっしぐらやもんな。それを立て直しただけでもマジで天才。
季漢は国とはいえ益州だけだもんなぁ…中原を平定している国家がある以上緩やかな死を迎えるしか無かったか…
劉禅の降伏って正直状況的に当然なんだよな。姜維は確かに剣閣で鍾会と対抗していたけど、陰平の間道を経由して攻め込んだ鄧艾を防がせるために諸葛瞻らを派遣した。黄崇(黄権の子。夷陵の戦いで大敗した際に黄権は呉には下りたくなかったので仕方なく魏に亡命した。そのため黄崇らを殺す意見が出たが自身が負けたのが悪かったのだと劉備はその意見を退けた)が諸葛瞻に積極策を取るよう進言したけど実戦経験が少ない諸葛瞻はまごまごした。それでも陣を構え一時は勝ち得たかのように思えたが当然のように後がない鄧艾の檄で勢いを増した鄧艾の息子の鄧忠ら魏将が諸葛瞻ら破って斬り、それでもう成都を守る兵力はなくなった。もしそれでも姜維が戻るまで抵抗しようとしたら恐らく成都は焼き討ちとかそういう目にあっていたでしょう。
評判散々な劉禅だけど、自身と臣下の安全を第一に考えると、かなりまともな判断下しているんですよね。まぁ、黄皓の件は流石に用語で金ですが(^_^;)少なくとも、成都に敵が迫った時点で、蜀は完全に詰みで徹底抗戦しても臣下もろとも虐殺されて無駄な犠牲が出るだけ。蜀滅亡後の司馬昭との宴会の話も、あそこで「蜀が恋しい」なんて自発的に主張したら、「謀反の意思あり」と難癖つけられて臣下ともども誅殺される可能性大。ぶっちゃけ、あの場で劉禅に忠告した蜀の旧臣連中のほうが状況が理解できない無能だと思いますよ。それを、自分自身が泥をかぶることでやり過ごした、劉禅のほうが余程人間出来てたと思います。
中国の人々は、時代ごとに表面上ではモンゴル人や満州人に従ってはいても、内面のどこかには「漢の正統」が途絶えてしまった事への悲嘆みたいな感情が残っているのかもね。なんだかんだで皇室が続いている日本の事を羨む人もいるみたいよ。
北宋の太宗も日本の皇室の事の様に永く自分の王朝が続いて欲しいと願ったそうです。
清まで残っていた王朝と皇帝を捨ててしまったのが悔やまれる継承国家の伝統である正史は作ってるみたいだけど
馬謖もしくじり武将として紹介してほしい
姜維も五十歩百歩。両方とも性格はともかく蜀という国家に対して大きなしくじり人生かました。馬謖は街亭、姜維は段谷。
国力もあるけど人材の差がなぁちょいちょい蜀は大敗してるのもね
孔子でさえ巫女の家の出説あるしそもそも殷周の理想視された王達も天意に従う呪王の側面が強い甲骨文字は占いの結果を記す文字だしぬ
卑弥呼様ってことは、魏志倭人伝はこの時代の話なんですね
そうです。以下Wikiより。魏志倭人伝(ぎしわじんでん)は、中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称となってますね。
魏志倭人伝が書かれたのはもう少し下った晋の時代で、卑弥呼自体はおそらく魏の三代目皇帝辺りの時代の人ですね。
孔明は早く死んだといわれるが54歳だから、そこまで早い印象ないんだよなあ。呉の周瑜や呂蒙や魯粛や魏の郭嘉を思うとなあ
まぁ、ライバル扱いされている司馬懿が長生きでしたからねぇ・・・
泣いて馬謖を斬る…劉備の言う事を聞かない孔明、孔明の言う事を聞かない馬謖
孔明「劉備だって、俺が呉征伐は無謀だからやめろって言ったのに強行して、主力軍と中堅部将ごっそり死なせたじゃないか。なにが「先生の言うことには必ず従います。どうか私の軍師になってください」だよ!!だったらちゃんと言う事聞いてよ(´;ω;`)」
@@酔狂-i9o 三者三様、みんな好き勝手(笑)
レミリア「あなたは今まで興ってきた『漢』の国数を覚えているの?」魔理沙「12国。今回は巴蜀(蜀漢)ですわ」
魏や呉や楚や韓や燕も数多そう
蜀漢以降の漢を集めて正当性を争わせたらさぞや騒がしいことになるだろう漢々諤々 (`・ω・´)キリッ
1. 前漢/西漢2. 後漢/東漢3. 蜀漢(三国)4. 漢趙/前趙(十六国)5. 成漢(十六国)6. 侯漢(南朝の梁代)7. 朱泚の大秦/漢(唐代)8. 後漢(五代)9. 南漢(十国)10. 北漢(十国)11. 陳漢(元代)12. 劉通の漢(明代)魔理沙「6個目、侯景の漢だぜ。「宇宙大将軍」。」レミリア「人間じゃないのかしら?」
三国時代ってめちゃくちゃ人口減ったんですよね?蜀はあの地形で良く持ったなと思う。
アップされて3秒後に開いたw
姜維が北伐に拘ったのは、旧臣でなかったから功績が無いと蜀に居場所がなくなるからかな
関羽と張飛が殺され、それに逆上した劉備が陸遜率いる呉に大敗した、夷陵の戦いが滅亡への第1歩だと俺の中では思ってるけど、違うかな?
関羽死んだ当たりから破滅に向かって行ったかんじ
呉から提案された子供の婚儀を、荊州太守だった関羽が独断で断ってしまったのがターニングポイントだと思います。
わりと劉備が気に入ってた法正が死んだ辺りから詰んでた
遡ればきりがない・・・それこそ龐統が死んで歯車が狂いはじめていたといえなくもない(´・ω・`)
1番ワンチャンあったのは定軍山で関中取った後にそれに呼応して関羽北上が最大のチャンスでした曹操が割とまじめに許昌を遷都しようか考えたくらい追い込まれてましたからね
劉備は人を見る目は確かだった。孔明は文官は確かだが軍事に関しては失敗がある。
夷陵の戦いとかいう致命傷
馬良か黄権どちらかでもいれば諸葛亮の負担は大きく減ったでしょうし夷陵の人材損失は痛すぎますよね
@@弱き者-n4v でもあの場面で荊州取り返しにいかないとやはり詰みでしょうし、どの道厳しかったんでしょうね
@@にきぺこ やっぱり関羽の荊州失陥がホントに…もっと遡れば諸葛亮を益州に行かせてしまった龐統の死が原因だから辛いものです
@@弱き者-n4v たらればですが龐統、法正の内どちらかでも長生きしていれば樊城でのアレはもう少しやりようがあっただろうなぁとは思ってしまいますね。
樊城で右足挫き、夷陵で左足挫き、孔明が治療して姜維が全身骨折させて虫の息になりチーン
諸葛亮って魏延をそんな冷遇してたか?北伐のときは前線司令官になり、魏延も諸葛亮がいる間は反逆することなく従ってたと思ったけど。魏延の案は成功してた可能性もあるけど、兵站やら占領後のこと考えると危険性の方が高いと判断したんだろうな
魏延が占領した後あの項羽と同じように略奪したりする可能性が高いから孔明からしたら任せらんねぇ……ってなってそう
魏延は職歴からして信用ならんでしょ主君斬ってる人間だからね
@@平木下和馬 魏延の主君斬りは演技の創作やで、正史だと魏延は前軍師・征西大将軍、仮節の待遇に加えて、南鄭侯の爵位までもらっとる。別に諸葛亮と魏延は仲悪いってことはなかった。単に長安別動策は兵站だけじゃなくて張郃、郭淮、杜襲が健在だったのもあるし。
返す返すも姜維が兵力を削りすぎたせいだよな。黄皓は軍事にまでは口出ししてなかった。実際姜維が引き継ぐ252年当時から軍事力も将校も1/5とも1/6ともいわれるほど減少してるからな。姜維を諸葛亮が連れてこなければ蜀の滅亡は無かったし、地形からしても呉より長生きできただろうね。
劉備死後も長く続いた方よなあ
40年維持したからね豊臣政権、平家でも2年保たなかったからな
蜀の滅亡とくれば次は呉の滅亡か?
陳祗は姜維の協力者ではありませんか😢
孔明は働きすぎ、ブラックというレベルではないw
魏延は確かに猛将で、劉備の期待に応え続けた男だが、長安奇襲の献策は無謀の一言につきます。希望的観測が多い上に、ロジスティクスの配慮がほぼ皆無。仮に奇襲が成功して長安を占領できても維持できず、曹真と張郃に袋叩きにされたでしょう。第一次北伐の孔明の判断は正しかった。馬謖の起用を除けば・・。
作戦を立てるタイプではなく、ファイナルファイトの様に前線でブンブンして敵を倒しまくるのが適任ですよね
曹真、張郃だけならまだしも、郭淮や杜襲もおったし、最悪呉方面から司馬懿呼び出せちゃうからなぁ……。
三國無双で凄まじい人数の武将がプレイアブル化してきて正直蜀は王平ぐらいしかプレイアブル化に値する人がいない魏とかまだまだ曹真とか文聘みたいな優秀な指揮官が残ってるあたり人材の差も感じる
考えてみれば華夏族→漢民族ときて次が起こらなかったのは何故なのだろう?
さあ、みんな大好き五胡十六国時代が近づいてきたぞ
地獄の門が開くんやなって……
魏は曹操が呂布と戦っている時代から屯田(民屯)して国力を増強していたのに、孔明は何度も北伐して小国を疲弊させた失態は否めない。富国強兵して戦わなければ、司馬懿のクーデターでショクにもチャンスがあった。
漢の誇りが2000年経った現在の中華に継承されてると考えると感慨深いものがあるなぁ。ジーンと来るものがある。
末路は三国誰もが悲惨だね。魏は帝位を司馬一族に簒奪されて、蜀は姜維の死を持って真の滅亡、劉禅は生かされて楽しく過ごす、呉は身内争いで疲弊して順当に滅亡人口比率で見ると魏7、蜀1、呉2らしいね中原、華北抑えて涼州まで抑えられたら勝てませんわ
キングダムの「秦」より長いじゃないか
もし劉禅が本当に暗君なら内政・軍事に余計な口出しして宦官や奸臣の讒言を信じて孔明を干して終了してただろうから明君の素質はあったんだろうなあ……状況がそれを許さなかったけれど
全く同感です。孔明死後、さまざま周辺事情があるとはいえ、国是が破綻し、半ば詰んでるような状態だった蜀漢を30年以上も維持し続けたことは事実ですから、亡国の君主だからといって安易に無能、暗君の烙印を押すのは私にはどうしても躊躇われるのです。
名君、明君というにはちょっと足りんとは思うけど、暗君は言い過ぎよね。平時なら無難に運営できるタイプの秀才タイプだと思います。
そもそも魏呉蜀を三分に分けたのが誤り。実際には7:2:1位の差があった。三国志演義を描いた人物はよほど判官贔屓の塊みたいだが、詩劇としては最上級デキで中国人でも演義を事実(大差ない)と思ってる人々もいるほど。「歴史は歴史」と言われた重みが増す蜀の実情に合掌!
明民族みんみんぞくはちょっとジワる
もし建国の英雄達が生きていたら、違った……のか?
蜀漢正統論、血筋の問題ではないけど日本の南朝正統論を思い起こします。
曹叡は、曹丕の実子ではない❗という説あり。
北の異民族の力が強くて魏ボコってくれれば生き延びることもできたんだろうに
蜀が早くに滅亡した理由・諸葛亮を含め、後継者が十分育っていなかった・姜維が自国の国力無視して北伐を繰り返して蜀を,疲弊させた(全自動北伐マシーン)
漢帝国の再興が劉備の入蜀に大義名分を与えている以上、北伐は国是だったからその辺考えると、劉備という人間の持つ属性と蜀っていう土地は相性悪かったんじゃないかなぁって最近になって思いますね。国を興した時点で大きな爆弾抱えてるようなもんだし、まぁよく保ったとは思います。
姜維が大将軍についてから国力1/5だもんな・・・そりゃどうにもならん。姜維がいなけりゃもともと攻めづらい地域からして司馬氏は呉から攻めてただろうね。蜀滅亡の一番は姜維だよ
後継者に関しては、そもそも国力が乏しい=与えられる報酬が少ないですから、優秀な人材であればあるほど蜀での仕官を避けたでしょうから、こればっかりなぁ・・・せめて、夷陵の戦いで歴戦の部将で次世代を担う中堅がごっそりまるごと戦死する展開がなければ、彼らが経験を十分積んだ次世代の柱石に慣れたのではと思います。姜維の北伐に関しては、魏があの地域に中継拠点を構築してしまったら本格的な蜀討伐軍が編成できてしまうため、攻勢防御だったのではという説があるので、一口に無理な北伐で国力をイタズラに疲弊させたとは言えないかも?実際、中継拠点が完成した時点で、魏(というか司馬氏)は軍を3つに分けて蜀討伐軍を起こして、蜀を一気に滅亡させています。
自分的蜀滅亡の原因関羽が荊州を呉を馬鹿にしたから呉が怒って魏と同盟を結んで関羽は敗死、荊州を失ったから山道から魏を攻めることになったその後、張飛は部下に暗殺され暗殺犯は呉に逃亡し劉備が怒って呉を攻めて陸遜の火計で90万近くの大軍を失った(ここで五虎将軍の黄忠戦没)馬超はいつの間にか死んでたもし生きてて反曹操の異民族をまとめて荊州軍と同時攻撃していたら長安くらいは取れてたと思う魏が攻めてきた時に諸葛瞻は疲弊した魏を倒すチャンスをみすみす逃したよって全て姜維が悪いわけではない
なんか蜀に軟着陸する道は無かったのだろうかいや軟着陸できた方かな?
アレが一番マシな落とし所でしょうね魏やその後継国家の普からすれば、献帝から漢を禅定された立場ですから、蜀漢は存在も正統性も一切認めることが出来ない存在。本来なら新しい皇帝に対する反逆を行った偽皇帝として族滅でもおかしくない立場だったのに、生き延びて封地もらえた時点で勝ち組かと。
姜維は夏侯覇に唆された可能性あり。
そもそも蜀が圧倒的に弱いというのが間違った見方益州というのは後漢最大の人口を誇り、壷中天と評された険しい山の中に肥沃な土地が広がっているまた三国時代は中原で、鉄、銅が不足し低たことが指摘されるがそれを当時豊富に産出していたのは蜀三国時代の人口でよく語られる人口比7:3:1というのは戸籍による登録人口であり全く実情を反映していないまた戸籍が散逸していなかった後漢時代の人口だと益州720万、荊州620万、揚州410万、交州110万呉の荊州の支配地は人口が少ない南半分で後漢の三都の一つで最大の人口を誇った荊州南陽郡は含まない呉の人口と蜀の人口は同程度であっただろうこの後漢代の人口比では魏の支配地北方と蜀呉の支配地南方の人口比は6:4とされるまた三国時代においては華北は相次ぐ戦乱で国土の疲弊、南方への人口流入が記録されている人口的にも蜀呉が共同できれば十分に魏と対抗できる国力があった(但し文化的国力は全く別)だからこそ優位な魏は何度も蜀、呉を攻めても成果なく、むしろ蜀呉の後手に回ることすら多々あった魏が蜀、晋が呉を滅ぼすにも暗君による国家の混乱を待たねばならなかった
まぁ、所詮強いやつだけ残ったあとゴミしか残ってないんだから仕方ないよね
三国志は霊夢と早苗と思ったのに魔理沙と妖夢とはしくじり皇帝に曹丕をリクエストします彼の早死にが魏の運命を決めてしまったので
早死でしくじり認定されるんかな?曹丕は器は小さかったけどそこまでって感じだと思うけど
@@一般通過宇宙大将軍 長生きしたら少し続いたかも知れないので
朱建平に40歳までしか生きられないと予言されてましたね。早死にであれば曹叡もリクエストしないと筋が通らないと思います。
うーん、不老長寿の薬や酒に溺れての早死じゃないから…。早死だけでしくじり認定されたらアレクサンドロス大王もしくじり認定されなくてはならなくなる。魏でしくじり認定されるなら司馬懿の演技を看破できず、クーデターを防げなかった曹爽だろうと思いますよ。
曹丕の最大のしくじりは、夷陵の戦いの直後、蜀でなく呉を攻撃し続けた事だと思います。一度だけでなく三度連続で失敗し、孔明に蜀復活の時間を与えてしまい、息子(曹叡)が苦労することに・・。文帝(曹丕)は戦下手でしたというのは辛辣かな?
馬謖と魏延への孔明と劉備の評価の差は気になった。孔明は実務能力には長けていたが人を見る目は劉備に及ばなかったと思う。特に魏延に対する『反骨の相』のくだりなど言いがかりもいいところで、魏延に謀反を起こさせたのは孔明自身だったのではないか?
劉備も馮習の起用は街亭の馬謖以上の失敗だと思うからどうだろうなぁ
魏延…
ーコメ蜀漢の滅亡だ。
長安奇襲は危険が大きすぎると思います。魏延は孔明にもしものことがあった時に、全軍の総帥にならなければいけない人物です。そんな人を危険に晒せなかったのではないでしょうか?
その魏延て実力はあったけど人望がなく蜀では最も嫌われてた。だから孔明にもしものことがあって魏延がその後釜に収まるなんてことが起こっては絶対ダメだったんだよ。”そんな人”を危険にさらすんじゃなくて、”そんな人”が最も危険極まりない。だから孔明は自分の死後に彼を殺す計画を企てる必要があった。メチャクチャ用意周到に。
魏延の性格がもう少し丸ければ、孔明も少しは楽ができたのですがね。悔やまれます。関羽、張飛、魏延、皆能力は高いんですが性格がキツイですね。やはり劉備がいないと駄目ですね。
司馬懿の芝居
鬼→霊魂❗つまり、鬼道とは霊媒という意味かもね。
夷陵の戦いと五度にわたる北伐で、蜀はすっかり国力が疲弊してしまったのでしょう。それを家臣達の力を借りながら劉禅は30年間も保たせたのですから、なかなかの苦労人ですね。諸葛亮の施政は「民に怨声なし」という程の善政だったとされていますが、厳しい統治故に怨声をこぼすどころの騒ぎではなかったかも知れませんね😅💧
ただのむしろ売りが一代で一国の王になるって三国志の中で1番の成功者じゃね?孫権、曹操、司馬懿は登場時にすでに地位も部下もいるんだから
元々かなりの名士だったんですよー
@@万能の変態 やっぱそうですよねえ、ただのむしろ売りが国を作るって無理だよねえ
@@katsumi-na1198 むしろ売りは本当にやってたかもしれん。親戚が金持ちで魯粛に師事して、上流階級の人材と交流を持てたのが他のむしろ売りとは大きな違いだったんだろうなぁ。魯粛門下生ってだけで名士受けは良かっただろうし。
名のある名士の塾に通えていたから、多分そこそこ資産かコネはあったんじゃないですかね?
@@脇村眼鏡 魯粛じゃなくて盧植ね
黄皓を登用したのが全ての原因。
黄皓の重用は蜀滅亡の数年前の話。国家が滅びる時に一人の人間が原因になって国家そのものが滅亡するということはない。人材難、姜維の度重なる投機的な北伐、内政の混乱と腐敗。他にもいろんな要素が絡みあって滅びるべくして滅んだ。孔明の後継者の姜維の悲劇のヒーローのイメージを守るために劉禅や黄皓に責任転嫁したという方が正しいといえる。
馬鹿と馬謖は高いところが好き。でも馬謖みたいな人結構いるよね。拙いじぶんに気づかず一人よがりにも自分に酔い墓穴を掘る。お笑いだよねこれ。。
劉禅って安楽公って呼ばれてなかった?
「公」は皇帝じゃないですよね(´・ω・`)?
違いますが言ってる意味がちょっと分かりません・・・?
なんでそんなに北伐にこだわったんだろ曹操が死んだ220年以降は全然興味がないからなあ
曹丕が献帝を殺した。許せねえ!なので俺が皇帝になって魏をぶっ潰しますと言って建国したから。北伐は国家の存在理由。これをやらないなら魏に降伏しないと筋が通らない。
あまりにも魏と蜀・呉の間に戦力・国力差があったから攻める事で主導権を握り、魏から攻めることを止めさせる目的があったのではという説もありますね。(自分たちにも被害が出るし、特に生粋の蜀出身者にとっては迷惑と言う思いもあったでしょうが)あと西涼周辺を取り込むことで羌族の協力を得る目的もあったと思う。
蜀の建国理由が「魏は漢を簒奪して国を奪った。我が国こそ正統な王朝である」という「アンチ魏」とも言える考えで成り立っている国家だから。北伐を中止する事は蜀の存在意義そのものを否定するようなもの。
1.蜀は献帝の漢王朝を引き継いだ劉氏による正統な漢王朝と言う立場で、献帝から禅定されて成立した魏皇帝は簒奪して勝手に名乗った偽皇帝だから、漢王朝の皇帝として討伐する義務があった※蜀は自分たちの正統性を主張するため、殺されていない献帝を勝手に殺されたことにして諡まで用意してます2.涼州などに中継拠点を作られてしまうと、魏による南伐が大規模かつ恒常的に行えるようになる。そうなると国力で圧倒的に劣る蜀は守勢に回らされ、完全に詰むので魏に対して攻勢防御をする必要があった。※事実、涼州などに中継拠点が完成した後に、魏が蜀討伐の大軍を起こして、一気に滅ぼしてますこの2点が大きいかと。その上で、偽王朝である魏を討伐することを国是にすることで、国を一つにまとめ上げていたので、建国した時点から北伐をやめる=蜀の存在価値を否定することにつながったためですね。
盛者必衰の理 定期
歴史の宿命やね
盛ってなかったんですがそれは
@@メレンゲ犬 盛ってなかったというか、後世の小説家に盛られたというか(´・ω・`)?
3回滅亡した国家、それが漢という国
@@平木下和馬 侯景の漢や五胡十六国時代の成漢、五代十国の漢とかありまっせ()
漢は不滅だ何度でも甦るさ尚もう復活しない模様
同じ命令違反でもって奴だな
孔明が虚をついて魏を叩こうとしたのに、見破るとは、悪徳司馬仲達も憎たらしい。勝つためには隙をつくることだからね。頭だけでも駄目、手足(部下)だけでも駄目。孔明は苦労したよね。曹操(曹丕)がラスボスじゃないし、魏を討つ為には大勢の武将を倒さないといけないから、国力が持たなかったよね。仲達め。
漢王朝の再興という壮大なロマンを追い求めた孔明。そのロマンを封じ込めたのは徹底したリアリストの仲達。結局ロマンでは飯は食えないし、ロマンでは戦いには勝てないんだよ。その相手がリアルを行くならなおさら。
秦も中華統一の後、二世皇帝の胡亥の代で滅亡したね。蜀漢も劉備の息子、劉禅が継いだ後でガタガタになった。父親が立派だと息子は辛いね。
もう張飛も関羽も討たれてたからなぁ。黄忠は歳だったはず馬超も討たれてたはず趙雲もおらん。司馬懿という化け物に負けてしまいもう終わりか
「癖ある馬に能あり」という、諺(ことわざ)があるが、魏延はまさにその言葉通りですね。有能な人物は癖が強く、扱いづらい。そんな魏延の才能を見出だし、上手に扱った劉備は人を見る天才ですね。
そういうところは、漢(前漢)の建国者劉邦にも繋がっているんやなぁ🎵(笑)
劉備にしか扱えない人間ってのもそれはそれで国家運営面倒だったりするからなぁ
関羽や張飛も然り
@@フォード-i1w
諸葛亮には素直に従いそうもなさそうな
趙雲子龍みたいな従順じゃ無さそうだし
法正もですかね
劉備の臣下だった人物には性格に難があったり癖が強すぎた為に、劉備にしか使いこなせないような人材が多かったように思います。
関羽と張飛を筆頭に魏延に法正、そして一見人当たりがよさそうで、その実かなりの頑固者の趙雲・・・・・・・・・・
無論孔明もその「劉備にしか使いこなせない曲者」の一人と言えるでしょう。
血で血を洗う五胡十六国時代の解説の日もいよいよ近づいてきた
中国史としてみると蜀って小国で滅んで当然だけど、ヨーロッパとかの同時代と比べると、決して小規模じゃ無いんだよな。
元々、稲が自生してて水が豊かで秦代から開発されてて、鉄と塩も産出する。一州としては人口も多い。一州として十分すぎる。でも、一州なんだよなぁ~
個人的には呉に攻め込んだ夷陵の戦いの敗戦で蜀の屋台骨は折れていたと思う、それを孔明の卓越した政治手腕で生き長らえさせていた印象
現実的にはただの一地方政権でないはずの蜀漢が演義正史問わず我々を魅了するのは
結局のところ、どこまでいっても劉備と孔明の見た夢とその残滓だったからかも知れません。
孔明の死後はどちらかというと魏の都合で後回しにされていた印象すらあります。
正史ではそこまで魅了されないよ。
根付いたの儒教文化が大きく影響してる。儒教の教えは、為政者が理想の政治を実現するための思想哲学。上下関係を重視して、下の人間は上の人間に絶対服従を要求できる。そしてその一番上にいるのが皇帝。だから中国の国家はみんな儒教道徳を教育の土台にしてきた。腐敗して滅亡に向かう国家でもその皇帝を崇拝して、その権威を守ろうとする劉備か、皇帝をないがしろにして国家を簒奪する曹操では、当然劉備を正義のヒーローにして曹操を悪役にする物語が三国志演義よりもずっと前の時代から常に繰り返されてきた。劉備や孔明が勝つ話をすれば子供は大喜びして、曹操が勝つ話をすれば子供は泣きじゃくる。
国家なんてものは栄枯盛衰。腐敗が手の施しようがないほど進行すればその国家を守るより一度滅ぼす方がより合理的であるという理屈だけど、国としてはそんな反逆の芽を育てることなっててはかなわない。だから現在の腐敗した国家でもそれに忠誠を作る劉備孔明をヒーローとするプロパガンダが二千年続いてきた。
判官贔屓ですよね、地盤、看板もないむしろ売りの男が漢復興とか、喜びそうな内容ですし
泣いて馬謖を斬るの故事は、「任命責任」をとる所までだと私は思っています。
たまに政治家が、泣いて馬謖を斬ったんですと話していますが、
それは馬謖を斬ったのではなく、トカゲの尻尾を斬っただけでしょ?上は責任とってないし…
ってのが多いです。
泣いて馬謖を斬る は動画内の紹介されてる法を重んじる意味の他に
「こんなド級のボンクラの本質を見抜けず重用してしまった自分が情けなさすぎる」と孔明が涙したという異説もありますね。
孔明に最も欠けていたのは人間を質的に評価する能力だったのではないでしょうか。この才能に限って言えば、劉備の方が数段上だったように思います。(ただし、能力や資質の問題ではなく、人生経験の差が主な要因だと思われます)
清濁善悪さまざまな人間と接してきた経験をもつ劉備と違って、孔明の場合は自分自身が才智に恵まれている上に、それまでの人生において自分のメガネにかなう、自分の才智の相手ができる(=才能に恵まれた)ような人間としか接してこなかったものですから、「バカな人間」「ボンクラ」「人間のクズ」なる者たちがどういう存在なのか、頭では認識していても、実際に理解できていなかった、というのはあったのではなかったかと思っています。
それまで本物しか見たことがない人間には、偽物に接しても案外見分けられないものなのかもしれません。
実のところ孔明は優劣以前に荊州閥の名士を優先して人材採用してたからな
(孔明自体が名士なので自然とそうなるのだけど)
その点自身の経験に基づき実力があれば抜擢する考えを持っていた劉備と比べるとどうしても劣るのだろう
魏延との兼ね合いも近いものがあるねぇ。
実力あるものを反骨の相があるとかいって斬ろうと進言してたりしますからね。
その後の魏延の働きはすごいと思う。
ヨウギが居なければちゃんと孔明の後継げてた感じもするし。
@@mild_solt1119 いやぁ孔明の死直後に長安攻めに行って司馬懿にハメられて終わってたと思う
馬謖や魏延の件もそうだけど、孔明って根本的に人事に関しては才能が欠如してますね。
その才能がずば抜けていた劉備が生きていた頃は、最終的な人事権を劉備が握っていたから問題なかったし、劉備死後も孔明自身の他の能力が高かったから、お気に入りが多少能力に問題があるメンツでも、孔明自身の能力でそれを補えただけなんじゃないかな。でもお気に入りは孔明の評価ほど才覚がないから後進として育たない。
その結果が、孔明自身の過労に拠る早死や、蜀の致命的なまでの人材不足につながったんじゃないかと思いますね。
ゲームなんかだと人材豊富な蜀だけど、実際には魏は名前が残らない優秀な人材が多かった。
初期から中期の将は三国とも素晴らしい人物が多いけど、後期は魏(晋)の圧勝…
国力でも負けてるし、そりゃあ勝てませんわ。
まあ、演技では蜀が劉備が主人公やからね。
大体のゲームとかも演技ベースなんよね。
@@Ivan4886Davis 正史ベースでゲーム作っても魏で呉蜀を蹂躙するだけでつまらなさそう
特に光栄(現:コーエーテクモ)は、開発元の贔屓が露骨に反映されてますからねぇ・・・
@@パンダーXパンダー
ワンチャン、史実ベースにした場合、蜀に攻め込もう→兵站の負担が重すぎ&現地調達しようにも現地に何もないで、案外攻め込むのも苦労しそう・・・
この中でも兵力差、国力差に触れてますね。大日本帝国が米国に宣戦布告するのと同じ。かの山本五十六元帥もこの国力差について冷静に分析されていて1年が限界、その後有利な段階で和睦と言っていた。諸葛亮も同じような立場、ただ国是としては漢を成都から長安に遷都し国賊曹賊を粉砕するというさらにヘビーな任務だったから慎重な策を練らざるを得なかったのだろう。
劉焉劉璋の支配地に劉備やら荊州閥が押しかけて一代であれこれやったわけだけど、
日本の豊臣しかり一代で国作って育てて未来に残しつつ敵国と戦うってそもそも大変ってもんじゃないよな。
陳寿が公式の歴史書の中で、依頼主を貶めることなく自分の故郷の人間を列伝に記載されていない人の事まで讃える文書を記載している。当時の状況を考えるとこれは文人としての最大限の自己主張だと思う。少しでも間違えると自身の命どころか、書いた物も散逸する可能性があると考えると陳寿はペンを持った勇者だと言える。
滅びのターニングポイントは荊州失陥かな
おまけに関羽も失った
それで夷陵の戦いが起こるし、暴走張飛は部下に殺されるし
そう思うと司馬懿の策略が蜀滅亡に一番効いたのかも
蜀滅亡のきっかけは、関羽ファンには申し訳ないが、関羽の尊大不遜な性格から同盟関係だった 孫権を見下し犬扱いその挙句 呉に荊州を取られて蜀のGDP減。その後 劉備が孔明の諫めも聞かず 呉と戦い夷陵で大敗して、それまでの蓄えた八十万の軍を失い・・・。
実は馬謖なんて比較にならんぐらいやらかし度がひどいんだよなぁ。
@@Sanmiguel-or8sn
関羽のやらかしはよく話に挙がるけど、当時の関羽の立場からすると荊州の軍権はあっても国の政権、外交権は制限あったから婚姻話は断るしかなかった。
多分孫権はその辺知ってる上で大義名分作るために劉備を無視して関羽に打診したんじゃないかな。
蜀と荊州より呉と荊州のが行き来が楽で早いだろうし、どっちかって言うと呉に対応出来なかったのは劉備、諸葛亮の落ち度も多分にあると思う。
@@脇村眼鏡
そこはせめて「自分には決定権がないから兄者(劉備)に話してくれor相談するから返答を待って欲しい」と返答すれば済むだけで、それを怠り独断している時点で、十分関羽の失策だと思います。
尤も、関羽の尊大な性格は劉備はもちろん人物評価に疑問符が残る孔明でも理解できるレベルでしたから、そんな彼の暴走を抑えられる補佐役を付けられなかった時点で、劉備や孔明の失策とも取れますが・・・
@@酔狂-i9o
やはり本人の頑固すぎる性格もこの悪手の起因になってますね。
関羽の武勇は対応に駆り出された魏、呉の武将の面々を見ればはっきりと分かるだけに、そこの一点が本当に惜しい。
国力差は当然として、潁川を始めとした、知識人が河北が安定すると、
蜀や呉から魏に戻ってしまったので人の質でも魏に勝てなくなった。
蜀を滅ぼしたのは劉禅じゃないし姜維でもないし黄皓でもなく鄧艾ってことを忘れてる人多い気がするのよね
真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である というナポレオンの言葉があることですし・・・・
魏の勝因よりも蜀の敗因のほうが大きいから仕方ない(´・ω・`)
70才のじいさんがハンニバルを越える山岳を越えて襲ってくるとかすごすぎるのにな
鄧艾って魏じゃなかった...?
外敵として蜀を滅ぼしたのは鄧艾だけどそれ以前から内側がダメになってってことでしょ
夏侯淵破って漢中奪取した所が最盛期でしたね。関羽が呉と上手く付き合えて
いれば魏をもっと脅かすこと出来たのかなあって考えてしまう
呉に関羽が上手く対応出来てたら、とはよく言われるけど。あの時の関羽には一定の軍権はあっても外交権は与えられてなかったから、どの道詰んでた。
劉備の承認なく外交出来ないから呉の要求は突っぱねるか待たせるしかないから、孫権はそれで大義名分を作るつもりで打診して来たんだと思う。
@@脇村眼鏡 関羽は荊州における統治権を有してるから外交権はあるよ。そもそもなけりゃ関羽の子供と結婚なんて提案を孫権がするはずがない。関羽がバカだったってだけ。しくじりでも言われてるけど、関羽は性格悪いしね。
@@ponpon3202
前半部分の統治権は知らなかった、ありがとう。
そう考えると、完全に関羽が軍事面のみの力押しでしか物事を捉えてなかったって感じなのだろうか。
搦手とか外面をもうちょっとなんとかできてたらなぁ。
20:04
馬謖を諌めている王平「山間は隘路で足止めだろ!山頂布陣?意味わかんねぇこと言うな!」
16年後、費禕を待つ王平「山間は隘路で足止めだ!山間は隘路で足止め!!(迫真)」
包囲されるかされないか、見極めが大事って事か
献帝は弑されたとの誤報が蜀に伝わり、蜀では「愍帝」の諡を用意していたくらいなので、漢朝の正当な後継者として魏を討つのは国是と言っていいんだよな。費禕がキーポイントかつターニングポイントだったかな。
蜀漢に連敗を見舞った鄧艾は、うp主の武将シリーズでもお馴染みの武廟六十四将に取り上げられてる名将。
魏国で六十四将にランクインしてるのは鄧艾以外では、合肥で八面六臂の活躍をしたあの張遼しかいない。
あれ、蜀も張飛と関羽しか入ってないのに呉は周瑜・呂蒙・陸遜・陸抗と4人も入ってるの意外だよね
@@NY-cz5to 六十四将より上の十哲に諸葛亮がいるんで蜀は3人、魏が一番少ないんですよね
名将多いけどパッとした功績がある人は少ないからなぁ
晋が地味にいますね。
東西合わせて5人いるのはちょっと驚きました。
@@NY-cz5to
ぶっちゃけ呉の4人はチートクラスに強いし……陸遜なんかは正史で諸葛亮と共に単独で伝をたてられて同格扱いだし。
魏は序盤のイケイケだったときは曹操が出ていって指揮するからな、陸遜や張遼、周瑜みたいな活躍はしにくい
つまり
三国志演義は真田十勇士みたいなものということですね
それから鬼道について今まで考えた事の無い視点で語られていて
目からウロコでした
最後の〆方にちょっと感動しました。
国是として漢の復興を掲げる以上、後漢の簒奪者・魏に戦を挑まざるを得ないのが、そもそもの無理ゲー…
何が何でも攻めなくてはいけないというのは支配者階級の人たちの傲慢。国是とか大義名分なんて世論いじくってどうにでもできるものだ。けっきょくはロマンであり、ロマンに縛られてるようでは司馬懿には勝てないよ。むしろそのロマンが邪魔になることさえある。
北方騎馬民がヒャッハーして曹魏に侵入掠奪か曹操が苻堅みたいに敗戦後自爆分裂しない限り無理では
地方割拠で諦めたらそれまでだし
この時代は特にコメント欄にも物識りが続々なのが面白いです。そういう意味で作りにくいと思いますが、ありがとうございます。
魏に曹操とその威光ある限り、耐えることはできても、いずれの滅亡は不可避だよなぁ…
人材のレベルが違い過ぎる。魏だと張飛や魏延レベルの武将は即クビ。
@@mentaiko-pasta 武廟六十四将にも入ってるところからしてそれは無いと思われる。張遼とか周瑜と同格かそれにちかい
劉備と孔明、苻堅と王猛はよく似ているけど、人を見る目は真逆でしたね
苻堅は慕容垂とか呂光とか有能な人物は発掘してるけどやっぱり、劉備には劣るよね
まあ劉禅は最近はともかく昔は評価低かったけど劉備に父と思い慕えと言われた諸葛亮を重用したのは当たり前だし
その諸葛亮の後もそこまで悪い人選はしてないと思うわ
元々詰んでた訳だしよくあれだけ長期間持たせたな感がある
姜維の北伐をどう評価するかは観点で異なるが、鍾会と組んだ直後に劉禅に対し「俺もう一回再起しますから!陛下をもう一回皇帝に返り咲かさせますから!見ててください俺やりますよ!YOROSHIKU!」という空気読まない手紙を送ってるのが、彼の危うさを物語ってる。
こんな手紙が魏に見つかったら劉禅自身の命も脅かされるという思慮が無かったのか。
司馬昭の宴で劉禅に「そういう時は蜀が懐かしいというべきだ」と忠告(笑)した蜀の旧臣もそうですが、基本蜀で忠臣扱いされるメンツは空気読めない連中揃いだからなぁ・・・
まぁ、まともな情勢判断できる人材なら、そもそも蜀を見捨ててる=情勢判断できないから蜀の家臣やってたともとれますが・・・(^_^;)
陳祗って生姜のことを支えた最後の味方だよね
前任の四相の様に強烈なカリスマを備えてたわけじゃないってだけで
「劉禅がイギリスの王だったら歴史的名君と称えられた」って例えで思わず吹き出してしまった
一応、劉禅は晋からは「思公(安楽公として)」、「漢の後継者」を自称して挙兵した匈奴の劉淵からは「孝懐皇帝」と諡されている。劉禅の子孫はこの劉淵が引き起こした永嘉の乱に巻き込まれて絶滅したけど。
漢中奪取したまでが横山三国志見てもピークだったかなとは思う、あとは法正がもっと長生きしてたらなとは。
宦官勢力が幅を利かしてしまったところが後漢末期の十常侍とかぶるんだよなぁ…
そんなところまでオリジナルの真似をしなくてもよかったのに
漢に忠誠を誓うということは、その漢が作り出してしまった歪んだ文化にさえ忠誠を示すことでもある。そこら辺は個人や家族単位とはちがい国家という社会であればこそ、柔軟にいいとこ取りという訳にはいかないだろうな。
鐘会のクーデターは辛憲英や司馬昭の嫁の王元姫からも仕官の時に野心の強さを見破られてましたからね。失敗は当然ですよ。姜維も何を思ってクーデターを起こしたのかは気になるところ。
このチャンネルの「三国の時代」も、いよいよ黄昏時に入ってきたねえ…
三国時代の黄昏時は五胡十六国時代の夜明けなんだよなぁ……なお
魏延の策は兵站に無理があるから取れても維持は厳しい
長安落としたとしても郭淮や司馬懿、曹真、張コウとか健在でしばらく粘らないといけないと考えるとハードル高いよなぁ
ワンチャン、長安陥落で魏がパニック状態になり、それを好機と呉が北伐を開始すれば、大勝利も無いこともないけど、そのための根回しした記録が見当たらないしなぁ・・・最悪、長安で蜀の全軍が敵中孤立→第二の夷陵の悲劇という可能性も・・・
兵は詭道なり、鍾会はツメが甘かったですねえ、そんなことより陳泰が出てこなかったのは残念、まぁ魏将なんで仕方ないね
17:00
「ここにいるぞ!!」(ドヤ顔)
蜀漢ほどifがありロマンがある国はないんだよな。
それは劉備や孔明が目指した国が民たちの理想の国だったからだとも言える
確かに国としては魏呉に及ばず滅びはしたが、その志こそは二千年近くたった今でも生き続けているんだよな
中國の歴史上最も国家が腐敗して人口を減らした後漢末期。漢王朝は滅ぶべくしてほろんだ。漢の復興という、時代に逆行するその方角のどこにが理想の国家があるのだというのか。ロマンでは国民は喜ばない。国民が最も喜ぶのは毎日食べるものがあることだよ。
荊州持っていれば対抗できたらいいなぐらいに国力違うからな。荊州も持たず劉備が大敗して詰んでるんだがね。
孔明の本当の凄さは劉備なき後、崩壊の危機にあった蜀を北伐をすることでまとめあげた事にあると言うことを論じる人がいて 自分もそう思った
崩壊の危機を乗り切るだけでなく北伐まで実行してしまう統制力はすごいと思う
実際に歴史上政権がうまくいかなくなると戦争で乗り切ろうとする政府があったりするが
さらに何回も失敗しても内部崩壊しないのは珍しい
普通の国なら夷陵の敗北、南方地域の反乱が起こった時点で滅亡コースまっしぐらやもんな。
それを立て直しただけでもマジで天才。
季漢は国とはいえ益州だけだもんなぁ…中原を平定している国家がある以上緩やかな死を迎えるしか無かったか…
劉禅の降伏って正直状況的に当然なんだよな。
姜維は確かに剣閣で鍾会と対抗していたけど、陰平の間道を経由して攻め込んだ鄧艾を防がせるために
諸葛瞻らを派遣した。黄崇(黄権の子。夷陵の戦いで大敗した際に黄権は呉には下りたくなかったので
仕方なく魏に亡命した。そのため黄崇らを殺す意見が出たが自身が負けたのが悪かったのだと劉備は
その意見を退けた)が諸葛瞻に積極策を取るよう進言したけど実戦経験が少ない諸葛瞻はまごまごした。
それでも陣を構え一時は勝ち得たかのように思えたが当然のように後がない鄧艾の檄で勢いを増した
鄧艾の息子の鄧忠ら魏将が諸葛瞻ら破って斬り、それでもう成都を守る兵力はなくなった。
もしそれでも姜維が戻るまで抵抗しようとしたら恐らく成都は焼き討ちとかそういう目にあっていたでしょう。
評判散々な劉禅だけど、自身と臣下の安全を第一に考えると、かなりまともな判断下しているんですよね。まぁ、黄皓の件は流石に用語で金ですが(^_^;)
少なくとも、成都に敵が迫った時点で、蜀は完全に詰みで徹底抗戦しても臣下もろとも虐殺されて無駄な犠牲が出るだけ。
蜀滅亡後の司馬昭との宴会の話も、あそこで「蜀が恋しい」なんて自発的に主張したら、「謀反の意思あり」と難癖つけられて臣下ともども誅殺される可能性大。ぶっちゃけ、あの場で劉禅に忠告した蜀の旧臣連中のほうが状況が理解できない無能だと思いますよ。それを、自分自身が泥をかぶることでやり過ごした、劉禅のほうが余程人間出来てたと思います。
中国の人々は、時代ごとに表面上ではモンゴル人や満州人に従ってはいても、内面のどこかには「漢の正統」が途絶えてしまった事への悲嘆みたいな感情が残っているのかもね。なんだかんだで皇室が続いている日本の事を羨む人もいるみたいよ。
北宋の太宗も日本の皇室の事の様に永く自分の王朝が続いて欲しいと願ったそうです。
清まで残っていた王朝と皇帝を捨ててしまったのが悔やまれる
継承国家の伝統である正史は作ってるみたいだけど
馬謖もしくじり武将として紹介してほしい
姜維も五十歩百歩。両方とも性格はともかく蜀という国家に対して大きなしくじり人生かました。馬謖は街亭、姜維は段谷。
国力もあるけど人材の差がなぁ
ちょいちょい蜀は大敗してるのもね
孔子でさえ巫女の家の出説あるし
そもそも殷周の理想視された王達も
天意に従う呪王の側面が強い
甲骨文字は占いの結果を記す文字だしぬ
卑弥呼様ってことは、魏志倭人伝はこの時代の話なんですね
そうです。
以下Wikiより。
魏志倭人伝(ぎしわじんでん)は、中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称
となってますね。
魏志倭人伝が書かれたのはもう少し下った晋の時代で、卑弥呼自体はおそらく魏の三代目皇帝辺りの時代の人ですね。
孔明は早く死んだといわれるが54歳だから、そこまで早い印象ないんだよなあ。呉の周瑜や呂蒙や魯粛や魏の郭嘉を思うとなあ
まぁ、ライバル扱いされている司馬懿が長生きでしたからねぇ・・・
泣いて馬謖を斬る…劉備の言う事を聞かない孔明、孔明の言う事を聞かない馬謖
孔明「劉備だって、俺が呉征伐は無謀だからやめろって言ったのに強行して、主力軍と中堅部将ごっそり死なせたじゃないか。なにが「先生の言うことには必ず従います。どうか私の軍師になってください」だよ!!だったらちゃんと言う事聞いてよ(´;ω;`)」
@@酔狂-i9o
三者三様、みんな好き勝手(笑)
レミリア「あなたは今まで興ってきた『漢』の国数を覚えているの?」
魔理沙「12国。今回は巴蜀(蜀漢)ですわ」
魏や呉や楚や韓や燕も数多そう
蜀漢以降の漢を集めて正当性を争わせたらさぞや騒がしいことになるだろう
漢々諤々 (`・ω・´)キリッ
1. 前漢/西漢
2. 後漢/東漢
3. 蜀漢(三国)
4. 漢趙/前趙(十六国)
5. 成漢(十六国)
6. 侯漢(南朝の梁代)
7. 朱泚の大秦/漢(唐代)
8. 後漢(五代)
9. 南漢(十国)
10. 北漢(十国)
11. 陳漢(元代)
12. 劉通の漢(明代)
魔理沙「6個目、侯景の漢だぜ。「宇宙大将軍」。」
レミリア「人間じゃないのかしら?」
三国時代ってめちゃくちゃ人口減ったんですよね?蜀はあの地形で良く持ったなと思う。
アップされて3秒後に開いたw
姜維が北伐に拘ったのは、旧臣でなかったから功績が無いと蜀に居場所がなくなるからかな
関羽と張飛が殺され、それに逆上した劉備が陸遜率いる呉に大敗した、夷陵の戦いが滅亡への第1歩だと俺の中では思ってるけど、違うかな?
関羽死んだ当たりから破滅に向かって行ったかんじ
呉から提案された子供の婚儀を、荊州太守だった関羽が独断で断ってしまったのがターニングポイントだと思います。
わりと劉備が気に入ってた法正が死んだ辺りから詰んでた
遡ればきりがない・・・それこそ龐統が死んで歯車が狂いはじめていたといえなくもない(´・ω・`)
1番ワンチャンあったのは定軍山で関中取った後にそれに呼応して関羽北上が最大のチャンスでした
曹操が割とまじめに許昌を遷都しようか考えたくらい追い込まれてましたからね
劉備は人を見る目は確かだった。
孔明は文官は確かだが軍事に関しては失敗がある。
夷陵の戦いとかいう致命傷
馬良か黄権どちらかでもいれば諸葛亮の負担は大きく減ったでしょうし
夷陵の人材損失は痛すぎますよね
@@弱き者-n4v
でもあの場面で荊州取り返しにいかないとやはり詰みでしょうし、どの道厳しかったんでしょうね
@@にきぺこ やっぱり関羽の荊州失陥がホントに…
もっと遡れば諸葛亮を益州に行かせてしまった龐統の死が原因だから辛いものです
@@弱き者-n4v
たらればですが龐統、法正の内どちらかでも長生きしていれば樊城でのアレはもう少しやりようがあっただろうなぁとは思ってしまいますね。
樊城で右足挫き、夷陵で左足挫き、孔明が治療して姜維が全身骨折させて虫の息になりチーン
諸葛亮って魏延をそんな冷遇してたか?
北伐のときは前線司令官になり、魏延も諸葛亮がいる間は反逆することなく従ってたと思ったけど。
魏延の案は成功してた可能性もあるけど、兵站やら占領後のこと考えると危険性の方が高いと判断したんだろうな
魏延が占領した後あの項羽と同じように略奪したりする可能性が高いから
孔明からしたら任せらんねぇ……ってなってそう
魏延は職歴からして信用ならんでしょ
主君斬ってる人間だからね
@@平木下和馬
魏延の主君斬りは演技の創作やで、正史だと魏延は前軍師・征西大将軍、仮節の待遇に加えて、南鄭侯の爵位までもらっとる。
別に諸葛亮と魏延は仲悪いってことはなかった。単に長安別動策は兵站だけじゃなくて張郃、郭淮、杜襲が健在だったのもあるし。
返す返すも姜維が兵力を削りすぎたせいだよな。黄皓は軍事にまでは口出ししてなかった。実際姜維が引き継ぐ252年当時から軍事力も将校も1/5とも1/6ともいわれるほど減少してるからな。姜維を諸葛亮が連れてこなければ蜀の滅亡は無かったし、地形からしても呉より長生きできただろうね。
劉備死後も長く続いた方よなあ
40年維持したからね
豊臣政権、平家でも2年保たなかったからな
蜀の滅亡とくれば次は呉の滅亡か?
陳祗は姜維の協力者ではありませんか😢
孔明は働きすぎ、ブラックというレベルではないw
魏延は確かに猛将で、劉備の期待に応え続けた男だが、長安奇襲の献策は無謀の一言につきます。希望的観測が多い上に、ロジスティクスの配慮がほぼ皆無。仮に奇襲が成功して長安を占領できても維持できず、曹真と張郃に袋叩きにされたでしょう。第一次北伐の孔明の判断は正しかった。馬謖の起用を除けば・・。
作戦を立てるタイプではなく、ファイナルファイトの様に前線でブンブンして敵を倒しまくるのが適任ですよね
曹真、張郃だけならまだしも、郭淮や杜襲もおったし、最悪呉方面から司馬懿呼び出せちゃうからなぁ……。
三國無双で凄まじい人数の武将がプレイアブル化してきて正直蜀は王平ぐらいしかプレイアブル化に値する人がいない
魏とかまだまだ曹真とか文聘みたいな優秀な指揮官が残ってるあたり人材の差も感じる
考えてみれば華夏族→漢民族ときて次が起こらなかったのは何故なのだろう?
さあ、みんな大好き五胡十六国時代が近づいてきたぞ
地獄の門が開くんやなって……
魏は曹操が呂布と戦っている時代から屯田(民屯)して国力を増強していたのに、孔明は何度も北伐して小国を疲弊させた失態は否めない。富国強兵して戦わなければ、司馬懿のクーデターでショクにもチャンスがあった。
漢の誇りが2000年経った現在の中華に継承されてると考えると感慨深いものがあるなぁ。ジーンと来るものがある。
末路は三国誰もが悲惨だね。
魏は帝位を司馬一族に簒奪されて、蜀は姜維の死を持って真の滅亡、劉禅は生かされて楽しく過ごす、呉は身内争いで疲弊して順当に滅亡
人口比率で見ると魏7、蜀1、呉2らしいね
中原、華北抑えて涼州まで抑えられたら勝てませんわ
キングダムの「秦」より長いじゃないか
もし劉禅が本当に暗君なら内政・軍事に余計な口出しして宦官や奸臣の讒言を信じて孔明を干して終了してただろうから明君の素質はあったんだろうなあ……状況がそれを許さなかったけれど
全く同感です。
孔明死後、さまざま周辺事情があるとはいえ、国是が破綻し、半ば詰んでるような状態だった蜀漢を30年以上も維持し続けたことは事実ですから、亡国の君主だからといって安易に無能、暗君の烙印を押すのは私にはどうしても躊躇われるのです。
名君、明君というにはちょっと足りんとは思うけど、暗君は言い過ぎよね。
平時なら無難に運営できるタイプの秀才タイプだと思います。
そもそも魏呉蜀を三分に分けたのが誤り。実際には7:2:1位の差があった。三国志演義を描いた人物はよほど判官贔屓の塊みたいだが、詩劇としては最上級デキで中国人でも演義を事実(大差ない)と思ってる人々もいるほど。「歴史は歴史」と言われた重みが増す蜀の実情に合掌!
明民族みんみんぞくはちょっとジワる
もし建国の英雄達が生きていたら、違った…
…のか?
蜀漢正統論、血筋の問題ではないけど日本の南朝正統論を思い起こします。
曹叡は、曹丕の実子ではない❗という説あり。
北の異民族の力が強くて魏ボコってくれれば生き延びることもできたんだろうに
蜀が早くに滅亡した理由
・諸葛亮を含め、後継者が十分育っていなかった
・姜維が自国の国力無視して北伐を繰り返して蜀を,疲弊させた(全自動北伐マシーン)
漢帝国の再興が劉備の入蜀に大義名分を与えている以上、北伐は国是だったからその辺考えると、劉備という人間の持つ属性と蜀っていう土地は相性悪かったんじゃないかなぁって最近になって思いますね。
国を興した時点で大きな爆弾抱えてるようなもんだし、まぁよく保ったとは思います。
姜維が大将軍についてから国力1/5だもんな・・・そりゃどうにもならん。姜維がいなけりゃもともと攻めづらい地域からして司馬氏は呉から攻めてただろうね。蜀滅亡の一番は姜維だよ
後継者に関しては、そもそも国力が乏しい=与えられる報酬が少ないですから、優秀な人材であればあるほど蜀での仕官を避けたでしょうから、こればっかりなぁ・・・
せめて、夷陵の戦いで歴戦の部将で次世代を担う中堅がごっそりまるごと戦死する展開がなければ、彼らが経験を十分積んだ次世代の柱石に慣れたのではと思います。
姜維の北伐に関しては、魏があの地域に中継拠点を構築してしまったら本格的な蜀討伐軍が編成できてしまうため、攻勢防御だったのではという説があるので、一口に無理な北伐で国力をイタズラに疲弊させたとは言えないかも?実際、中継拠点が完成した時点で、魏(というか司馬氏)は軍を3つに分けて蜀討伐軍を起こして、蜀を一気に滅亡させています。
自分的蜀滅亡の原因
関羽が荊州を呉を馬鹿にしたから呉が怒って魏と同盟を結んで関羽は敗死、荊州を失ったから山道から魏を攻めることになった
その後、張飛は部下に暗殺され暗殺犯は呉に逃亡し劉備が怒って呉を攻めて陸遜の火計で90万近くの大軍を失った(ここで五虎将軍の黄忠戦没)
馬超はいつの間にか死んでた
もし生きてて反曹操の異民族をまとめて荊州軍と同時攻撃していたら長安くらいは取れてたと思う
魏が攻めてきた時に諸葛瞻は疲弊した魏を倒すチャンスをみすみす逃した
よって全て姜維が悪いわけではない
なんか蜀に軟着陸する道は無かったのだろうか
いや軟着陸できた方かな?
アレが一番マシな落とし所でしょうね
魏やその後継国家の普からすれば、献帝から漢を禅定された立場ですから、蜀漢は存在も正統性も一切認めることが出来ない存在。本来なら新しい皇帝に対する反逆を行った偽皇帝として族滅でもおかしくない立場だったのに、生き延びて封地もらえた時点で勝ち組かと。
姜維は夏侯覇に唆された可能性あり。
そもそも蜀が圧倒的に弱いというのが間違った見方
益州というのは後漢最大の人口を誇り、壷中天と評された険しい山の中に肥沃な土地が広がっている
また三国時代は中原で、鉄、銅が不足し低たことが指摘されるがそれを当時豊富に産出していたのは蜀
三国時代の人口でよく語られる人口比7:3:1というのは戸籍による登録人口であり全く実情を反映していない
また戸籍が散逸していなかった後漢時代の人口だと益州720万、荊州620万、揚州410万、交州110万
呉の荊州の支配地は人口が少ない南半分で後漢の三都の一つで最大の人口を誇った荊州南陽郡は含まない
呉の人口と蜀の人口は同程度であっただろう
この後漢代の人口比では魏の支配地北方と蜀呉の支配地南方の人口比は6:4とされる
また三国時代においては華北は相次ぐ戦乱で国土の疲弊、南方への人口流入が記録されている
人口的にも蜀呉が共同できれば十分に魏と対抗できる国力があった(但し文化的国力は全く別)
だからこそ優位な魏は何度も蜀、呉を攻めても成果なく、むしろ蜀呉の後手に回ることすら多々あった
魏が蜀、晋が呉を滅ぼすにも暗君による国家の混乱を待たねばならなかった
まぁ、所詮強いやつだけ残ったあとゴミしか残ってないんだから仕方ないよね
三国志は霊夢と早苗と思ったのに魔理沙と妖夢とは
しくじり皇帝に曹丕をリクエストします彼の早死にが魏の
運命を決めてしまったので
早死でしくじり認定されるんかな?曹丕は器は小さかったけどそこまでって感じだと思うけど
@@一般通過宇宙大将軍 長生きしたら少し続いたかも知れないので
朱建平に40歳までしか生きられないと予言されてましたね。
早死にであれば曹叡もリクエストしないと筋が通らないと思います。
うーん、不老長寿の薬や酒に溺れての早死じゃないから…。
早死だけでしくじり認定されたらアレクサンドロス大王もしくじり認定されなくてはならなくなる。
魏でしくじり認定されるなら司馬懿の演技を看破できず、クーデターを防げなかった曹爽だろうと思いますよ。
曹丕の最大のしくじりは、夷陵の戦いの直後、蜀でなく呉を攻撃し続けた事だと思います。一度だけでなく三度連続で失敗し、孔明に蜀復活の時間を与えてしまい、息子(曹叡)が苦労することに・・。文帝(曹丕)は戦下手でしたというのは辛辣かな?
馬謖と魏延への孔明と劉備の評価の差は気になった。
孔明は実務能力には長けていたが人を見る目は劉備に
及ばなかったと思う。特に魏延に対する『反骨の相』
のくだりなど言いがかりもいいところで、魏延に謀反
を起こさせたのは孔明自身だったのではないか?
劉備も馮習の起用は街亭の馬謖以上の失敗だと思うからどうだろうなぁ
魏延…
ーコメ蜀漢の滅亡だ。
長安奇襲は危険が大きすぎると思います。魏延は孔明にもしものことがあった時に、全軍の総帥にならなければいけない人物です。そんな人を危険に晒せなかったのではないでしょうか?
その魏延て実力はあったけど人望がなく蜀では最も嫌われてた。だから孔明にもしものことがあって魏延がその後釜に収まるなんてことが起こっては絶対ダメだったんだよ。”そんな人”を危険にさらすんじゃなくて、”そんな人”が最も危険極まりない。だから孔明は自分の死後に彼を殺す計画を企てる必要があった。メチャクチャ用意周到に。
魏延の性格がもう少し丸ければ、孔明も少しは楽ができたのですがね。悔やまれます。関羽、張飛、魏延、皆能力は高いんですが性格がキツイですね。やはり劉備がいないと駄目ですね。
司馬懿の芝居
鬼→霊魂❗
つまり、鬼道とは霊媒という意味かもね。
夷陵の戦いと五度にわたる北伐で、蜀はすっかり国力が疲弊してしまったのでしょう。それを家臣達の力を借りながら劉禅は30年間も保たせたのですから、なかなかの苦労人ですね。
諸葛亮の施政は「民に怨声なし」という程の善政だったとされていますが、厳しい統治故に怨声をこぼすどころの騒ぎではなかったかも知れませんね😅💧
ただのむしろ売りが一代で一国の王になるって三国志の中で1番の成功者じゃね?孫権、曹操、司馬懿は登場時にすでに地位も部下もいるんだから
元々かなりの名士だったんですよー
@@万能の変態
やっぱそうですよねえ、ただのむしろ売りが国を作るって無理だよねえ
@@katsumi-na1198
むしろ売りは本当にやってたかもしれん。
親戚が金持ちで魯粛に師事して、上流階級の人材と交流を持てたのが他のむしろ売りとは大きな違いだったんだろうなぁ。
魯粛門下生ってだけで名士受けは良かっただろうし。
名のある名士の塾に通えていたから、多分そこそこ資産かコネはあったんじゃないですかね?
@@脇村眼鏡 魯粛じゃなくて盧植ね
黄皓を登用したのが全ての原因。
黄皓の重用は蜀滅亡の数年前の話。国家が滅びる時に一人の人間が原因になって国家そのものが滅亡するということはない。人材難、姜維の度重なる投機的な北伐、内政の混乱と腐敗。他にもいろんな要素が絡みあって滅びるべくして滅んだ。孔明の後継者の姜維の悲劇のヒーローのイメージを守るために劉禅や黄皓に責任転嫁したという方が正しいといえる。
馬鹿と馬謖は高いところが好き。でも馬謖みたいな人結構いるよね。拙いじぶんに気づかず一人よがりにも自分に酔い墓穴を掘る。お笑いだよねこれ。。
劉禅って安楽公って呼ばれてなかった?
「公」は皇帝じゃないですよね(´・ω・`)?
違いますが言ってる意味がちょっと分かりません・・・?
なんでそんなに北伐にこだわったんだろ
曹操が死んだ220年以降は全然興味がないからなあ
曹丕が献帝を殺した。許せねえ!
なので俺が皇帝になって魏をぶっ潰しますと言って建国したから。
北伐は国家の存在理由。これをやらないなら魏に降伏しないと筋が通らない。
あまりにも魏と蜀・呉の間に戦力・国力差があったから攻める事で主導権を握り、
魏から攻めることを止めさせる目的があったのではという説もありますね。
(自分たちにも被害が出るし、特に生粋の蜀出身者にとっては迷惑と言う思いもあったでしょうが)
あと西涼周辺を取り込むことで羌族の協力を得る目的もあったと思う。
蜀の建国理由が「魏は漢を簒奪して国を奪った。我が国こそ正統な王朝である」
という「アンチ魏」とも言える考えで成り立っている国家だから。
北伐を中止する事は蜀の存在意義そのものを否定するようなもの。
1.蜀は献帝の漢王朝を引き継いだ劉氏による正統な漢王朝と言う立場で、献帝から禅定されて成立した魏皇帝は簒奪して勝手に名乗った偽皇帝だから、漢王朝の皇帝として討伐する義務があった
※蜀は自分たちの正統性を主張するため、殺されていない献帝を勝手に殺されたことにして諡まで用意してます
2.涼州などに中継拠点を作られてしまうと、魏による南伐が大規模かつ恒常的に行えるようになる。そうなると国力で圧倒的に劣る蜀は守勢に回らされ、完全に詰むので魏に対して攻勢防御をする必要があった。
※事実、涼州などに中継拠点が完成した後に、魏が蜀討伐の大軍を起こして、一気に滅ぼしてます
この2点が大きいかと。その上で、偽王朝である魏を討伐することを国是にすることで、国を一つにまとめ上げていたので、建国した時点から北伐をやめる=蜀の存在価値を否定することにつながったためですね。
盛者必衰の理 定期
歴史の宿命やね
盛ってなかったんですがそれは
@@メレンゲ犬 盛ってなかったというか、後世の小説家に盛られたというか(´・ω・`)?
3回滅亡した国家、それが漢という国
@@平木下和馬
侯景の漢や五胡十六国時代の成漢、五代十国の漢とかありまっせ()
漢は不滅だ何度でも甦るさ尚もう復活しない模様
同じ命令違反でもって奴だな
孔明が虚をついて魏を叩こうとしたのに、見破るとは、悪徳司馬仲達も憎たらしい。勝つためには隙をつくることだからね。頭だけでも駄目、手足(部下)だけでも駄目。孔明は苦労したよね。曹操(曹丕)がラスボスじゃないし、魏を討つ為には大勢の武将を倒さないといけないから、国力が持たなかったよね。仲達め。
漢王朝の再興という壮大なロマンを追い求めた孔明。
そのロマンを封じ込めたのは徹底したリアリストの仲達。結局ロマンでは飯は食えないし、ロマンでは戦いには勝てないんだよ。その相手がリアルを行くならなおさら。
秦も中華統一の後、二世皇帝の胡亥の代で滅亡したね。
蜀漢も劉備の息子、劉禅が継いだ後でガタガタになった。
父親が立派だと息子は辛いね。
もう張飛も関羽も討たれてたからなぁ。
黄忠は歳だったはず
馬超も討たれてたはず
趙雲もおらん。司馬懿という化け物に負けてしまいもう終わりか